明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題

  Ⅶ-96 きものの知識「十日町友禅」その4

ゆうきくんの言いたい放題

 昔買った友禅の本(昭和50年発行)の十日町友禅の説明に次の様な行があった。
「十日町友禅の特徴は、ボリューム感があること。刺繍とか絞りなんかを、たくさん使っているからそうなる。後発産地ですから、そういう事で特色をもたせないと。」
 生産方式については、
「作業システムを確立して、合理化をはかること。それでコストを低く抑えて、商品の価格を安くする。」  
 そして価格について、
「低価格は他の追随を許さない。安物であっても、それなりに豪華できらびやかである。」
 十日町友禅が狙うのは、
「ピラミッドの頂上ではなくて、その下のボリュームゾーンをねらっている。」

 これが書かれたのは昭和50年である。背景は昭和40年代の呉服業界であろう。当時は呉服の需要は現在とは比べ物らならない程多かった。それを背景に、更に次のような事が書かれている。

「たとえば中振袖の需要について。これが40万枚くらいだという。この数字の根拠は、成人式を迎える女性の数からきている。昭和48年が89万人、49年が83万人、このうち半分が着物を着るとして、だいたい40万人。」

 令和7年の新成人は109万人である。半分が女性として54.5万人である。昭和48年に比べて61%である。40万人の61%であれば244,000人。更に、その中で振袖を新調する人はどれだけいるのか。成人式のレンタル振袖やママ振が幅を利かせて、新調する人は激減している。詳しい統計は分からないが、実需は15万人を切っているかもしれない。

 十日町友禅が当初目指したのは数的に多いボリュームゾーンだった。高価な手描きの京友禅や加賀友禅を新調できない人にとっては救いであったと思う。しかし、着物の需要は減少し、大量生産によるコストダウンは曲がり角に来ている。というよりも、既に曲がり角を曲がっている。

 私の店に出入りしていた十日町の出張員は、随分前に退社していた。その後を継いでやって来ていた社員に聞くと、その人は呉服業を離れ、十日町のガソリンスタンドに勤めていると言う事だった。そして、その会社も今は無くなっている。

 染屋の中にも、倒産廃業した店があり、既存の染屋も縮小しながら厳しい状態と聞く。しかし、まだまだ良い商品を創っている染屋もあり、呉服業界の為に頑張って頂きたいと思う。

 十日町友禅が大量生産出来た技術の一つに「型糸目」がある。次回は「型糸目友禅」について触れる。

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